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第4話 闘いのチャンピオンロード 昭和57年1月24日「アメリカジョッキークラブカップ」(中山芝2500)1か月前に制した有馬記念と同じ舞台で、当然のごとく本命に推されたアンバーシャダイ。中団から末脚を伸ばして差し切るという堂々の横綱相撲で見事、1番人気に応えた。鞍上(あんじょう)には、ホウヨウボーイの引退によって自厩舎(きゅうしゃ)の加藤和宏が戻った。  年明けて昭和57年。アンバーシャダイにとって濃密な時が始まった。闘いに明け暮れた戦士が、いよいよベールを脱ぎはじめたのである。なお、アンバーの鞍上(あんじょう)には、ホウヨウボーイの引退によって自厩舎(きゅうしゃ)の加藤和宏が戻ってきた。  その緒戦は、有馬記念と同じ舞台となるAJC杯(注・当時のAJCは中山の2500メートル)であった。ホウヨウボーイを倒して新チャンピオンの座についてからわずか1か月しか経過しておらず、グランプリ制覇の残り香が強く漂っていただけに、アンバーシャダイが本命に推されたのはいうまでもない。  打倒アンバーシャダイの旗頭として2番人気に推されていたのは、菊花賞馬ミナガワマンナであった。ミナガワマンナが菊花賞に勝ったのはたった2か月前のことであり、大本命サンエイソロンを4馬身もち切ったシーンはいまだ鮮明である。アンバー同様、1か月前の有馬記念を経ての出走であった。本来なら、これにモンテプリンスが加わる予定であったが、直前になって回避し、2月の東京新聞杯に回っている。それにしても、アンバーシャダイやミナガワマンナクラスの馬が、有馬記念を走った後、返す刀でAJCに使ってくるなどというのは、現在(*1997年当時)の常識でいえばほぼありえないことであろう。  レースはアンバーシャダイの完勝であった。中団から末脚を伸ばして差し切るという堂々の横綱相撲であり、さすが有馬記念馬というほかはない。だが、一方のミナガワマンナは惨敗ともいえる5着に終わった。菊花賞馬の面目にかけてアンバーを倒すための競馬を試みたぶん、ほかの連中を抑える力さえも使い果たしたといったところであろう。 「力の差としかいいようがない。これを埋めるにはどうすればいいのか……」  AJCの完敗で、ミナガワマンナ鞍上の菅原泰夫はそう痛感したという。と同時に、菅原の心には、「なんとかアンバーシャダイを倒してやりたい」という闘志がメラメラと湧(わ)き上がってきた。人を奮い立たせるには、敗北の味、屈辱の味をなめさせるのがもっとも効果的なのだ。  菅原はいう。 「あのころの私は、どうやってアンバーシャダイをやっつけてやろうかということばかりを考えていた」  打倒アンバーシャダイ。  それは、菅原泰夫のみならず、当時の一流馬に携わった男たちのテーマであった。  ところで、競馬人最大の目標とはなんであろうか? 月並みな言い方をすれば、やはり「ダービーに勝ちたい」ということであろう。ひるがえせば、「GIレースに勝ちたい」ということになろう。もっと現実的なところでいえば、「現時点でかかわっている馬にできるだけ大きな勲章を取らせたい」ということにほかならない。その意味では、当時の菅原が熱望したのは「ミナガワマンナを大レースに勝たせる」ということであったはずだ。  けれども、菅原は「あのころはアンバーを倒すことばかり考えていた」というのである。  そこに、当時の競馬の本質が凝縮されているといっていい。  大レースに勝ちたいのはやまやまである。しかし、頂点に君臨する馬が出ていない大レースに勝っても何の意味もない。ライバルを倒さずしてチャンピオンとは呼べないのである。それが当時の感覚であった。少なくとも、菅原泰夫はそう考えていた。  アンバーシャダイは、そんなチャレンジャーたちの挑戦を受けて立たなければならなかったのである。  その後、目黒記念を叩(たた)いたミナガワマンナは天皇賞の前哨戦・アルゼンチン共和国杯(注・当時のアルゼンチン共和国杯は春シーズンに位置していた)に出走してきた。天皇賞を狙うアンバーシャダイがエントリーしていたのはいうまでもない。  今回はミナガワマンナが雪辱を果たした。AJCとは逆にアンバーシャダイが先行し、それを睨(にら)む形でレースを進めたミナガワマンナが差し切ったのである。菅原泰夫の作戦勝ちといえるだろう。こうして、大目標の天皇賞を迎えることになるわけだが、勝ったのはかねてから“大器”の呼び声高いモンテプリンスであった。アンバーシャダイは2着に敗れ、ミナガワマンナは4着に終わっている。  モンテプリンスはアンバーシャダイの同期であるが、5歳(*現在の馬齢表記で4歳)秋にようやく頭角を表わしたアンバーとは違って、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)の時から第一線で活躍していた馬である。しかし、よくよく運のない馬で、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)時はダービー、菊花賞でともに2着に敗れ、5歳(*現在の馬齢表記で4歳)時も秋の天皇賞でホウヨウボーイとの一騎討ちの末、わずかハナ差だけ涙を飲んでいた。大レースに縁がなかったのは、慢性的な脚部不安を抱えていて十分な調教ができなかったからだといわれている。ちなみに、ミホノブルボンで名高い故・戸山為夫調教師は、著書『鍛えて最強馬をつくる』のなかで「もし、あの当時から坂路があれば、モンテプリンスは6歳(*現在の馬齢表記で5歳)になって初めてGIを勝つ程度の活躍ではすまなかったであろう」といった内容のことを書いている。それだけに、サラブレッドとしての能力自体はアンバーシャダイよりも上と見られていた。ただ、筆者の私見をいわせてもらえれば、モンテプリンスには競り合いに弱いところがあり、それが幾度の僅差(きんさ)負けにつながっていたという気がする。すなわち、イマイチ根性が足りない馬だったのだ。それに対し、アンバーシャダイは根性の塊のような馬である。能力的に劣るアンバーシャダイが、モンテプリンスと互角の競馬をやれたのは、ひとえに根性の賜であろう。この天皇賞における勝敗は、根性比べでなく能力比べのレースになったところがポイントだったのではなかろうか。  天皇賞に敗れたアンバーシャダイは、脚部不安のため休養生活に入った。秋の大レース戦線に復帰してきたのは5か月半後のことである。しかし、毎日王冠4着、天皇賞5着と、内容はいま一つであった。だが、有馬記念を迎えるころにはようやく本調子を取り戻し、再び本命の座に返り咲いている。  昭和57年の有馬記念は、当時のほとんどの一流馬が勢ぞろいしたレースであった。モンテプリンス、ミナガワマンナ、オペックホース、アンバーシャダイ、カツアール、ワカテンザン、アキビンゴ、メジロティターン、ヒカリデュール、ビクトリアクラウン、キョウエイプロミス、トドロキヒホウ、カズシゲ、トウショウゴッド、メジロファントム。これほど豪華な顔触れのなかから1番人気に支持されたのだから、アンバーにとってはそれだけで名誉というものであろう。 昭和57年12月26日「有馬記念」(中山芝2500)アンバーシャダイ(帽色赤)にはスピードシンボリ以来史上2頭目の2年連続グランプリ制覇がかかっていたが、ゴール寸前のところでヒカリデュールの一世一代の追い込みに屈した。結果はハナ差の2着。  アンバーシャダイにはスピードシンボリ以来史上2頭目の2年連続グランプリ制覇がかかっていたが、鞍上加藤は姑息(こそく)な手を一切使わず、力で押し切る正攻法に出た。アンバーもそれに応え、3番手からの積極的な競馬をなんなくこなし、直線で力強く抜け出したのである。ゴールまであと100メートル。勝利は目前のところまできていた。  けれども、この年のジャパンカップで日本馬として最先着を果たしたヒカリデュールが、渋った馬場をモノともせずに追い込んできた。ゴール寸前のところでアンバーシャダイを差し切り、先頭でゴールを駆け抜けたのである。ヒカリデュール一世一代の追い込み劇であった。  アンバーシャダイは敗れた。しかし、王者らしい堂々たる競馬でのハナ差2着だっただけに、内容的には勝ちに等しいといえるであろう。また、出し抜けのような直線一気ではなく、馬体を接して叩き合う形になっておれば、並外れた精神力にモノいわせて粘り切っていたかもしれない。  昭和56年の有馬記念以来、アンバーシャダイは力を振り絞って闘い続けた。年が明ければ7歳(*現在の馬齢表記で6歳)を迎えることになる。一流馬の引退が早くなった昨今の常識でいえば、そろそろ引退の2文字がチラ付きはじめるころであろう。しかしアンバーの現役生活に終止符が打たれることはなかった。いや、それどころか昭和57年の競馬は、アンバーシャダイの偉大なるチャンピオンロードにおける序章に過ぎなかったのである。

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バローネフォンテンが勝つ 競馬の東京オータムJ 2005年10月15日(土) 16時46分 共同通信  第7回東京オータムジャンプ(15日・東京9R3300メートル芝11頭、ジャンプG3)  1番人気のバローネフォンテン(山本康志騎乗)が3分38秒6で優勝し、賞金3500万円を獲得した。山本騎手、高橋裕調教師ともにこのレース初勝利。  中盤から先頭に躍り出たバローネフォンテンは直線でもしぶとく粘って、そのまま押し切った。2着はテレジェニック、3着にはマイネルユニバースが入った。  払戻金は単勝が370円、枠連が(7)−(8)で1320円、馬連は(8)−(10)で1490円、馬単は(8)−(10)で2410円、3連複は(1)−(8)−(10)で4870円、3連単は(8)−(10)−(1)で1万9510円。ワイドは(8)−(10)が650円、(1)−(8)が780円、(1)−(10)が1160円。 [ 10月15日 16時46分 更新 ]

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