レースの前に勝つ馬がわかる競馬予想サイト


軸2頭マルチ
最強の予想家を育成。プロ・アマ問わずの予想バトルでランキング1位を目指して賞品GETだ。飛び込み参加大歓迎。
万馬券穴馬的中
レースの前に勝つ馬がわかる競馬予想サイト
G1
オープン馬の次走予定(過去3走の成績付き)。管理人の重賞予想。
有馬記念
【三連単の5万馬券以上狙い!】競馬で生活するレベルではなく、競馬で成功する為の方法。
無料予想
配当圏内に入着の可能性の高い1頭を中心に情報提供しています。馬連・馬単・3連複に新たに導入された3連単!勝つために求められる最大のポイントは投資レースの絞り込みと軸馬選定!
名馬
脱サラし競馬で当てた収入のみで暮らす男の渾身の競馬予想!!一度無料予想でお試しください!高配当・高的中率なので、財テク・投資として低資金からスタートできます。
GII
競馬予想大会をやっています、お気軽に参加してください。
大穴
"儲けるなら予想屋に乗れ!Tome’s Tipster Indexで夢は回収率1,000%!!"
JRA
JRA競馬を少ない買い目で予想しています。
GI
京都予想師シオスポ!公式ホームページ−楽しい競馬サイト−レースポイント無料予想−おもしろ競馬グッズ−競馬サイトリンク集

レースの前に勝つ馬がわかる競馬予想サイト


第2話 幼少時代と不遇の4歳時  昭和52年3月10日、アンバーシャダイは北海道早来のファームで生まれた。父は日本競馬史に燦然(さんぜん)と輝く名種牡馬(しゅぼば)ノーザンテースト、母が名繁殖牝馬(はんしょくひんば)クリアアンバー(この牝系からはイブキマイカグラ、サクラバクシンオー、スプリングコート、バーニングダイナらが出ている)とくれば、かなりの期待を背負っていたのでは、と想像しがちである。しかし、当時のアンバーは、マスコミがこぞって騒ぎ立てるような今(*1997年当時)の社台の評判馬並みの期待ではなかったらしい。アンバーが生まれたころは、ノーザンテーストの実績がほとんど無きに等しい時期であったこと、薄手の馬体のためそれほど威圧感がなかったことがその主な理由であるようだ。  また、アンバーシャダイは、離乳のときに馬房内で暴れ、ヒザの皮膚が裂けてしまうという大事故も経験していた。 「ヒザの故障が完治するまでほぼ2年を費やしました。そのため、調教が大幅に遅れたのはいうまでもありません。デビューが4歳(*現在の馬齢表記で3歳)の1月にズレこんだのもそのせいです。あのときの傷痕は今でも残っているほどですよ」  当時、アンバーシャダイの育成を手がけていた社台ファームの袴田二三男はそう述懐する。このケガのおかげで、すでに成立していた売買がキャンセルになったくらいだから、どれだけ大きなアクシデントであったかがうかがえよう。買い手がなくなったことで、アンバーシャダイは吉田善哉の服色で走ることになった。  吉田善哉は“幸運の人”ともいわれている。  社台ファームの初期のころ、成田空港建設のため、千葉に所有していた土地が高騰した。その売却代金で、北海道の白老と錦岡にある広大な敷地を購入したのである。しかも、その錦岡が苫小牧港の拡張にともなうベッドタウン計画で、市によって高額で買い取られることになったのだ。その売却代金は、現在の早来・千歳の土地に化けた。ノーザンテーストの成功にしても、海のものとも山のものともわからない2歳(*現在の馬齢表記で1歳)馬をセリで買った“バクチ”の産物である。それらのことには及ばないが、アンバーシャダイもそんな“幸運”のひとつであろう。  後にアンバーが大活躍したおかげで、吉田善哉はアンバーの古傷をさすりながら、 「私はこの傷のおかげで得をした」  と高笑いすることになるのだから。もっとも、彼の幸運は単なる僥倖(ぎょうこう)ではなく、たゆまぬ努力の賜なのだが。  とはいえ、アンバーシャダイの幼少期は順風満帆には程遠いものであった。その影響で、デビューが明け4歳(*現在の馬齢表記で3歳)になってしまったことは前述のとおりである。  アンバーシャダイのデビュー戦は昭和55年の1月5日であった。結果は3番人気で3着。初勝利を挙げたのは、続く折り返しの新馬戦であった。ただ、内容的にはいま一つといわなければならない。2着馬に4馬身の差をつけたものの、1分40秒4(1600メートル)という、いたって平凡な時計であったからだ。  その後もアンバーシャダイは苦戦を強いられた。400万下のレースを勝ち上がるのに3戦を要したのである。成績が上がらなかったことの要因としては、“晩成型”ということが挙げられるが、幼少期の事故のおかげで順調さを欠いたことが影響したのはいうまでもない。  それでも、アンバーシャダイは随所に素質の片鱗(へんりん)を見せていた。400万下平場を勝った直後に出た4歳中距離特別で3着に食い込み、ダービー出走がかなったのである。結果は9着であった。この着順は、臨戦過程や19番人気という評価を考えれば“善戦”といえるのではないだろうか。ちなみに、ダービーに勝ったのは“史上最弱のダービー馬”といわれるオペックホースで、クビ差の2着には“太陽の帝王”ことモンテプリンスが入った。この時点でアンバーシャダイがモンテプリンスと互角の勝負をするまでに成長するとは、誰もが想像できなかったに違いない。しかし、二本柳調教師は、 「いずれかならず大仕事をやってくれる馬。長い目で育ててゆこう」  と、考えていたらしい。  ダービーの後休養に入ったアンバーシャダイは、秋の東京で戦列復帰したが、自己条件の800万下のレースをも勝ちあぐねていた。4月以来となる勝ち星を挙げることができたのは、秋復帰後5戦目、4歳(*現在の馬齢表記で3歳)の最終戦となった12月の冬至特別である。ここまでの通算成績は12戦3勝2着1回というごく平凡なものであった。

レースの前に勝つ馬がわかる競馬予想サイト


アイポッパーは2着 豪州競馬のG1レース 2005年10月15日(土) 18時11分 共同通信  オーストラリア競馬のコーフィールドカップ(2400メートル芝18頭、G1)は15日、メルボルン郊外のコーフィールド競馬場で行われ、藤田伸二騎乗のアイポッパー(5歳牡馬、清水出美厩舎(きゅうしゃ))は2着だった。優勝はレイリングス。  中団を進んだアイポッパーは、最後の直線で一度は先頭に立ったが、ゴール直前で外からレイリングスに惜しくもかわされた。(共同) [ 10月15日 18時11分 更新 ]

レースの前に勝つ馬がわかる競馬予想サイト