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第2話 不当に評価が低かった3冠前のシービー  現在定着しているミスターシービーの評価があまり高くないのと同様に、3冠を取る前のシービー評も最大級の賛辞ではなかったようである。そのことは、当時の状況を振り返れば容易に理解できることであろう。  昭和57年秋、翌年のクラシックを占う3歳競馬を賑わせていたのは、6年前に競馬ファンを大いに湧かせ、“天馬”の愛称で親しまれたトウショウボーイの産駒(さんく)たちであった。ついでながらいうと、種牡馬(しゅぼば)トウショウボーイは、産駒がバンバン走りしかも種付け料が安い軽種馬農協所属ということで、零細牧場の“お助けボーイ”と呼ばれるまでになった。内国産種牡馬の頂点ともいえるトウショウボーイの偉業は、この世代の産駒が大活躍しはじめたことに起因している。  さて、そのトウショウボーイ産駒であるが、昭和55年生まれのなかに“トウショウボーイ三羽ガラス”といわれる馬たちがいた。ダイゼンキング、ミナガワビクトリー、そしてミスターシービーである。ただ、本格的にクラシックシーズンに突入する前の昭和58年初頭の評価からすれば、トウショウボーイ産駒の一番星といわれていたのは、後の3冠馬ミスターシービーではなく、関西のダイゼンキングであった。小倉3歳ステークスに勝ったほか、いまだに史上最高のメンバーといわれている阪神3歳ステークスを制しているのだから、その時点の評価としては至極妥当であるといえよう。ちなみに、ダイゼンキングが破った相手には、後のマイル王ニホンピロウイナー、桜花賞馬シャダイソフィア、皐月賞、ダービーともに2着のメジロモンスニーなどがいる。  ダイゼンキングが西の横綱なら、東の横綱はやはりミスターシービーであろう。ただ、年明け早々にデビューし、鮮烈なブッチ切り劇を演じたミナガワビクトリーの出現によって、“東のトウショウボーイ”はミスターシービー一色とはいえない雰囲気が漂っていた。ミナガワビクトリーが中央競馬で走ったのは後にも先にもこの1戦だけ(後に公営で16戦した)だったにもかかわらず、この強烈なレースによって種牡馬への道が開けたのだから、どれだけ凄いデビュー戦だったかがうかがえよう。もっとも、ミナガワビクトリーはクラシック登録をされていなかったので、皐月賞、ダービーに出ることは不可能ではあったのだが。  ダイゼンキング、ミナガワビクトリー、そしてミスターシービー。トウショウボーイ三羽ガラスが大評判になっていたのは間違いない事実なのだが、決してシービー一色ではなかったのである。しかも、一番手評価をダイゼンキングに譲っただけでなく、人によっては三番手に置かれていたのだから、今にして思えば面白いものである。  一番手評価ではなかったといえば、ミスターシービーを管理していた松山康久厩舎(きゅうしゃ)でもそうであった。  以前、筆者が松山厩舎の名調教助手として名高い新畑繁を取材したとき、 「入厩(にゅうきゅう)当初、ミスターシービーにそれほど大物感を感じた人はほとんどいませんでしたねえ。馬場にいれてタグを踏ませてみてもゴツゴツした動きでしたから、後に3冠馬になるなんて誰も思わなかったでしょうね。ただ、キャンターをさせてみると急に柔らかい動きになるので、もしかするといいところがあるのかもしれない、という感じはありましたが……。  ミスターシービーは千明牧場の生産馬なんですが、当時ウチの厩舎にはもう1頭千明牧場の馬がいました。コレジンスキーというんですが、ほとんどの人がシービーよりコレジンスキーを上に見ていたんです。さすがに連勝街道にはいってからは見る目も違ってきましたが、ジョッキーの吉永正人さんなんかは、シービーが共同通信杯に勝った後でさえ、“コレジンスキーのほうが上”と思っていたくらいですよ」  と、答えている。  このように、3冠を取る前のミスターシービーの評価は決して高いものではなかったのである。

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前田師が死去…通算303勝、重賞6勝 2005年10月17日(月) 8時56分 日刊スポーツ  前田禎(まえだ・ただし)調教師が15日午後3時35分、病気療養中に死去した。63歳。鹿児島県出身。騎手として2696戦220勝、75年に調教師免許を取得し、4676戦303勝。ホクトチハル(80年アラブ大賞典・春)スピーデイタイガー(83年七夕賞)マイスタージンガー(93年関屋記念G3、京王杯AH・G3)、ミラクルタイム(98年毎日杯G3、京都4歳特別G3)で重賞6勝。通夜は17日午後6時、茨城県稲敷郡美浦村大字美駒2500の2、美浦トレセン厚生会館本館で、告別式は18日午前11時半に同所で行われる。喪主は長男裕久(よしひさ)氏。 [ 10月17日 8時56分 更新 ]

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