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第5話 〜過大評価〜"最強"の称号が一人歩きし始めた  ここで、トウカイテイオーの最初の相棒である、ジョッキー安田隆行について触れなければならない。  彼は、前項でも述べたとおり、トウカイテイオーとコンビを組むまではGIレースには全く縁のない、小倉や中京が稼ぎ場という地味なジョッキーであった。また、デビュー2年目の障害レースでの落馬、9年目の調教中の落馬事故で2度の騎手生命の危機を経験したこともある。とくに2度目の事故の後遺症はかなり深刻なもので、後まで足を引きずって歩かなければならないほどのアクシデントであった。そのため、真剣に調教師転身を考えていたほどである。そんなジョッキーがトウカイテイオーと巡り合い、デビュー20年目にして初のクラシックを手にしたのだ。一躍“時の人”に祭り上げられたのは当然であろう。  だが、そんな“時の人”も、一夜にして奈落の底に突き落とされることになる。ダービーに勝った直後、トウカイテイオーの骨折が判明し、3冠の期待がかかる菊花賞挑戦が絶望的になってしまったからだ。しかも話はそれだけにとどまらない。なんと、テイオーの父ルドルフの唯一無二のパートナーで、名手として絶対的な評価を得ていた岡部幸雄から、“テイオー骨折の責任”として、公然と批判を受けてしまったのである。 「トウカイテイオーはレース中に骨折していたらしいが、もし騎手が直線で左ムチを使っていれば骨折は防げたかもしれない」  岡部騎手によるそんな内容の記事が、サンケイスポーツに記されていた。要するに、もう少しジョッキーが乗り方を知っていれば骨折しなかった、ということであり、岡部の真意はどうあれ、結果的に安田を批判することになってしまったことは否定できない。  実際のところ、トウカイテイオー骨折の真相は闇のなかとしかいいようがないが、事実として残されたのは、復帰後のテイオーに乗ることになったのは、安田隆行ではなく岡部幸雄だったということである。もっとも、安田は調教師試験を受けることを決めており、岡部クラスの超一流ジョッキーでない限り、トウカイテイオーほどの馬に“試験に受かったから降りる、落ちたから乗る”という曖昧な態度は許されないであろう。いずれにせよ、誰か他のジョッキーが乗り替わることは必然的なことであった。ただ、岡部への乗り替わりを望んだのが、他ならぬ安田隆行であったことには驚かざるを得ない。 以前、筆者が取材した際に、 「ボクは、テイオーと苦楽をともにすることより、調教師になる道を選びました。ですから、テイオーのことは、彼の父とコンビを組んでいた岡部さんに委ねたいんです」  と、断言していたことが、今もって耳から離れない。しかもその発言は、岡部から批判されたことを知った上でのものである。この乗り替わり決定に至る過程に紆余曲折(うよきょくせつ)があっただろうことは想像に難くないが、それにしても安田の毅然とした態度には敬服する以外にない。  さて、トウカイテイオーを取り巻く人々の間でそのようなすったもんだが起きていた頃、テイオー自身は故障を癒すために休養生活を送っていた。前に述べたように、菊花賞出走は絶望であり、“無敗の3冠達成”という、記録の上で父シンボリルドルフと並ぶことは不可能になり、“失意の休養生活”と表現したマスコミも少なくない。  しかし、その反面、明らかに父を凌駕してしまったことがある。皐月賞、ダービーでのレース内容がルドルフ以上に楽だったとか、レース振りがおとなびている、といった類のことではない。それは現役当時の父ルドルフが得ることのできなかった、“大多数ファンの支持”であった。  実力のシンボリルドルフ、人気のミスターシービー。  それは、シンボリルドルフが走っていた頃の、明らかな構図であった。まあ、あれから10年以上の歳月が過ぎた(*1996年当時)ため、歴史の必然性ともいうべき“強者が弱者を凌駕する”という法則によって、いまでこそルドルフはシービー以上の知名度と人気を得ているが、当時の観念では、ルドルフが敵役だったことは否定できない事実だったのである。  けれども、息子のほうはのっけから善玉であった。それどころか、骨折による菊花賞回避というアクシデントのために、ルドルフにはついぞ縁がなかった“悲劇性”を身にまとうことができたのである。さらにいえば、ジョッキーの乗り替わり劇も、微妙に陰を落とす役割すら担っていたのだ。 「本来ならどんなレースでも勝つ力があるのに、なんと不幸な馬であることか……」  絶対的な力を認められたことを背景に同情を集めたのだから、ファンの絶大な支持を獲得したのも当然であろう。  名馬の基準が単なる強さや能力だけではないというなら、トウカイテイオーはすでにその時点で、父シンボリルドルフを凌駕していたといわねばならない。それゆえ、本来ならその時点で判断できようはずがない“最強”の称号が一人歩きしはじめたのである。

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メサイア 栗東に凱旋 2005年10月18日(火) 6時2分 スポーツニッポン  ラインクラフトを首差差し切り、執念で牝馬3冠ラストG1・秋華賞を奪取したエアメサイア(牝3=伊藤雄)が栗東トレセンに凱旋した。この日、厩舎に訪れた野田厩務員は「変わらず元気だよ。朝、確認するまで気が気じゃなかった。良かったよ」と破顔一笑。「ジョッキーが完ぺきに乗ってくれた。メサイアにとっても自分にとっても初めてのG1勝ち。本当にうれしいね。以前に所属していた厩舎が解散した時、声をかけてくれた先生(伊藤雄師)のおかげ」と喜びを新たにしていた。 [ 10月18日 6時2分 更新 ]

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