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第2話 トウショウボーイ誕生  類い稀なスピードから“天馬”の愛称で親しまれたトウショウボーイは、昭和48年4月15日、静内(しずない)の藤正牧場で生まれた。父テスコボーイ、母ソシアルバターフライという血統である。  天馬の誕生については、まずソシアルバターフライの輸入から語らねばならない。  ソシアルバターフライの輸入は昭和41年のことであった。そのとき、ソシアルバターフライのほか2頭の繁殖牝馬が、後の根幹牝馬の期待を受けて同時輸入されている。ただ、3頭が横浜の検疫所に到着したとき、もっとも貧弱な体をしていたのがソシアルバターフライであったらしい。そのため、オーナーの藤田正明などは「こんな馬のどこに期待すればいいんだ」と、牝馬選定に当たった沼田正弘(故人)に不満を漏らしていたという。  沼田正弘とは、“馬産の名人”として名高い、当時の藤正牧場の中心人物である。その沼田は、渋い顔のオーナーを前にして平然と言い放った。 「ソシアルバターフライこそが、将来の藤正牧場を支える牝馬になるはずです」  その後、ソシアルバターフライが希有の名牝系として繁栄してゆくのは周知の事実であり、沼田の目に狂いはなかったことになる。馬産の名人としてだけでなく、相馬の達人といわれている沼田にふさわしいエピソードといえるだろう。こうして繁殖牝馬となったソシアルバターフライは、中山記念、クモハタ記念などに勝って種牡馬になったトウショウピット、9勝を挙げたトウショウプリンス、オークス2着で4頭の重賞勝ち馬の母となるソシアルトウショウを立て続けに生んでいる。  昭和47年の繁殖シーズン。当時の生産界ではテスコボーイがおおいに人気を集めていた。ただ、テスコボーイは軽種馬農協の所属馬という事情から、自由につけることはできない。藤正牧場でテスコボーイの種付け権利が当たったのは、ウィステリアという牝馬であった。しかし、ウィステリアは体調不全のため、種付けがむずかしい状況だった。そこで白羽の矢が立ったのがソシアルバターフライにほかならない。  この事実だけでいえば、テスコボーイとソシアルバターフライの配合は、ある意味で代用であり、トウショウボーイの誕生はいささか偶然のいたずら的な感を禁じ得ない。しかし、沼田にしてみれば、2頭の交配はぜひとも実現させてみたかった試みでもあったのだ。  ハイペリオンの18.75、軌跡の血量。テスコボーイとソシアルバターフライの配合によって、そんなクロスができあがるのである。沼田が常々考えていた血の組み合わせなのだ。ウィステリアの体調不全で躊躇(ちゅうちょ)なくソシアルバターフライを選んだのは決して苦肉の策ではなく、名人・沼田のプランのひとつだったのである。天馬トウショウボーイの誕生は、決して僥倖(ぎょうこう)ではない。  ただ、トウショウボーイは生まれつき腰の甘い馬であった。この欠点は、テスコボーイ産駒に共通する部分といえるだろう。テスコボーイ産駒の代表格で、昭和61年の秋の天皇賞馬サクラユタカオーも、腰甘で有名な馬であった。そのような先天的弱点のために、強い調教ができず、デビューが遅れるという事態に繋がってゆく。しかし、そんな欠点を抜きにすれば、逞しい馬体、柔らかな背中、そして迫力ある動きと、トウショウボーイの素質には目を見張るものがあったという。  本来、トウショウボーイは旧府中の茂木為二郎厩舎に入る予定であったらしい。ところが、茂木は腰甘の理由からトウショウボーイを引き取ることに難色を示していた。そこで、茂木と森末之助調教師(茂木の親友)で相談した結果、「保田君に任せてみることにしよう」という結論に落ち着いたらしい。保田とはハクチカラ(ダービー、天皇賞)、ハクショウ(ダービー)、グレートヨルカ(菊花賞)、マーチス(皐月賞)、コレヒデ(有馬記念)などで大レースを勝ちまくり、名騎手として君臨した保田隆芳にほかならない。とくに、天皇賞通算10勝(5回テツモン、20回ニューフォード、22回ヤシマドオター、24回ハタカゼ、29回ハクリョウ、34回ミッドファーム、36回ハクチカラ、41回クリペロ、53回ハクズイコウ、54回コレヒデ)という、競馬史に燦然と輝く大記録の保持者なのである。ただ、調教師としては、転身して3年目の若手であった。  こうしてトウショウボーイは保田厩舎に入ることが決まった。なお、余談になるが、茂木為二郎はカブラヤオーの管理調教師であり、もしトウショウボーイを引き取っておれば、2年連続で年度代表馬を手掛けていたことになる。もっとも、カブラヤオーは他の調教師が敬遠したものを義理で引き取ったという事情の馬であった。運というものはままならない、といったところであろうか。

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インパクト完ぺき11秒4〜菊花賞 2005年10月20日(木) 6時2分 スポーツニッポン 武豊を背に追い切るディープインパクト  史上2頭目の偉業へ、英雄が完ぺきなリハーサルを披露した。クラシック最終章「第66回菊花賞」の追い切りが19日、栗東、美浦の両トレセンで行われ、84年シンボリルドルフ以来21年ぶりの無敗3冠制覇を目指すディープインパクト(牡3=池江郎)は主戦・武豊(36)を背に躍動。力強く先着し、その破壊力をあらためて見せつけた。菊花賞の枠順は、20日に決定する。  その数、50台以上。見たこともない数のテレビカメラ、スチールカメラが並ぶ。重厚な望遠レンズの放列の先で、ディープインパクトが躍動した。武豊を背に、ウッドチップコースでフェイトトリックス(4歳500万)を2馬身追走。首の使い方、前肢のかき込み、後肢の蹴り。すべてが僚馬と比較にならぬほど圧倒的に雄大だ。  直線で苦もなく外に馬体を寄せる。残り200メートル。丁寧にハミを掛けた。グッ、グッ、グッ。1歩ずつ体が沈んでいく。450キロそこそこの馬体がチーターのように、しなやかに伸びる。完全に威圧された僚馬が力を失う。半馬身、インパクトが前に出たところがゴール。手元の時計はラスト11秒4を計時していた。  見どころはまだあった。引き揚げてきたインパクトは汗ひとつかいていない。息もすでに整っていた。再度待ち構えた50台のカメラの前で悠然と3周。シャッター音に動じる気配すらない。究極の一戦を前に、この大サービス。無敗の怪物の精神力は、どこまでタフなのだろうか。  記者会見場も、ダービー時には全国から報道陣約80人が殺到したフィーバーぶりをも超える、教室2つ分ほどのスペースに150人以上がすし詰めとなり、かつてない熱気に包まれた。武豊が現れると一斉にフラッシュ。取材慣れした天才も思わず後ずさりした。「いい動き。理想的な動きだった」。空前の大報道陣を見回しながら口火を切った。  「馬の力が抜けていることは明らか。気分良く折り合いをつけ、スムーズなレースをしたい。淀の2度の坂越えは難しいがイメージはできている」。難コースでこそ、さえるのが武の手腕。過去の菊花賞3勝は、その証明だ。  自信はある。あとは重圧との闘いだけだ。「今回は僕自身にとっても大きなレース。大事にしたいし、悔いなく乗りたい。負けることは許されないし、なんとか3冠馬にしたい」。岡部幸雄(引退)が84年シンボリルドルフで3冠を獲った時が36歳。21年前、競馬学校1年生だった武は京都競馬場で世紀の瞬間を見届けた。岡部が3本の指を天に突き上げるのを見て、自分も3冠騎手になりたいと夢を描いた。その武は今、当時の岡部と同じ36歳。騎手として最高の円熟期を迎え、夢に王手をかけた。  「もう、これほどの馬は現れないかもしれないから」。武は菊花賞直前、日曜10Rの騎乗依頼を一切断った。心を落ち着け、悔いなく大一番に臨むため。気持ちを集中させ、納得のいく騎乗をしたその先に、騎手人生最高の歓喜が待っている。 [ 10月20日 6時2分 更新 ]

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