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第1話 最強馬の血  偉大なるシンザン……  昭和39年に3冠を達成し、翌40年には天皇賞、有馬記念を制して“5冠馬”と呼ばれた名馬中の名馬である。後にミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンといった3頭の3冠馬が出現したが、オールド・ファンの中には、いまだに“シンザンこそ史上最強”と言い切るものが多く、その業績は決して色褪せるものではない。シンザン引退からすでに30余年の歳月が流れ(*1998年当時)、シンザンの現役時代を知るファンも少なくなったが、それでも最強馬伝説は語り継がれているのである。  もちろん、ファン・サイドだけでなく、競馬関係者のなかにもシンザンの血を信じ、守ろうとしたものは少なくない。  シンザンを種牡馬(しゅぼば)として繁養していた谷川牧場の谷川弘一郎もそのひとりである。 「当時31歳にしか過ぎなかった私にとって、あれほどの名馬を扱うというのは大きな重荷で、一旦はその話をお断りしたほどです。しかし、(シンザンの)オーナーの松橋幸吉さんからの要請でようやく踏ん切りがつき、やってみようという気になりました。  あのとき、私が考えたことは、日本の競馬は欧米の植民地ではない、ということでした。わが国が生んだスターホースの血によって新たなスターホースを作ってこそ、日本競馬の繁栄があるのだ、と。それ以来、“シンザン系”を作ることが私のライフワークとなったのです」  そんな言葉どおり、谷川はシンザンの血を守り続けた。 「種付け料は受胎が確認された後でもいいですから」  と、多くの生産者に頭を下げてまわり、優秀な繁殖牝馬(はんしょくひんば)を求めて奔走したのである。ちなみに、当初の種付け料は20万円。いかに貨幣価値が違うとはいえ、現在(*1998年当時)の常識では信じ難い低価格といわねばならない。“内国産種牡馬冬の時代”であったことが大きく影響していたのであろう。とくに、シンザンの初産駒(はつさんく)がデビューした昭和46年は、リーディング・サイアー・ランキングのベスト20が、すべて輸入種牡馬で独占されるという状況であった。平成10年を迎えた現代(*1998年当時)も“内国産種牡馬受難の時代”といわれているが、それでも、ニホンピロウイナー、アンバーシャダイ、サクラユタカオー、メジロライアン、タマモクロスらが奮闘し、輸入種牡馬一色の寡占状態だけは食い止めている。種牡馬シンザンは極めて過酷な状況下でスタートを切ったといわねばならない。  種牡馬入りした当時のシンザンは繁殖に恵まれなかったが、それでもそれなりの仔(こ)を出していた。そんななか、2年目の産駒から待望の重賞勝ち馬が出現する。金鯱賞、朝日チャレンジカップなどに勝ったシングンである。  それ以降、シンザンは内国産種牡馬としては破格の活躍をすることになる。スガノホマレ(京王杯オータムハンデ、東京新聞杯、CBC賞など)、シンザンミサキ(鳴尾記念、愛知杯など)、シルバーランド(マイラーズカップ、CBC賞など)、ブルスイショウ(クモハタ記念、カブトヤマ記念など)と、次々と重賞勝ち馬を輩出していったのだ。谷川牧場からも、ウラカワチェリー(阪神牝馬特別)、アサヒダイオー(カブトヤマ記念)といった、シンザン産駒による重賞勝ち馬が出ている。昭和50年代にはいると、シンザンの種付け料は100万を超えるまでになっていた。  このように、シンザンは種牡馬になってからも大健闘したわけだが、それがきっかけとなって、内国産種牡馬を見直す気運が高まり始めた。「日本の馬でも、強い馬なら種牡馬として見込みがある」と考え直す生産者が増え、価格的なメリットもあいまって、徐々に内国産馬に目が向けられ始めたのである。その意味では、シンザンは競走馬として偉大というだけでなく、種牡馬としても日本競馬の新たな1ページを開いたパイオニアといえるだろう。アローエクスプレス、トウショウボーイといった内国産の雄も、シンザンの成功がなければどうなっていたかわからない。とくにアローエクスプレスなどは、「シンザンの引いたレールがなければ、埋もれてしまった可能性が大きい」とまでいわれているほどなのだ。  しかし、それほどまでに偉大なシンザンであっても、どうしても達成できないことがあった。産駒によるクラシック制覇にほかならない。昭和49年のオークスではスピードシンザンが2着、53年の菊花賞でもキャプテンナムラが2着と、あと一歩というところで涙を飲んでいたのだ。  昭和55年、シンザンが長らく君臨していた内国産馬としてのチャンピオンサイアーの座を、アローエクスプレスが奪い取った。年齢的にも20歳を越えたことから、「シンザンの仔はクラシックに勝てないのか」といった悲観的な声まで出始めていたほどである。  ところが、翌昭和56年、ついに悲願が叶えられることになる。ミナガワマンナが大本命サンエイソロンを破って菊花賞を制し、シンザン産駒として初のクラシック・ホースとなったのだ。しかも、ミナガワマンナの生産牧場は谷川牧場。まさしく執念の勝利といえるであろう。 「幸運なことに、私はダービー、菊花賞、天皇賞(ともにタケホープ)、そしてオークス(タケフブキ)といった大レースに勝たせていただいています。しかし、ミナガワマンナが菊花賞に勝ったときの喜びは、それらの比ではありません」  谷川弘一郎は、昭和56年の菊花賞をそう振り返る。  シンザンの血は、それを守ろうとした人々の手によって脈々と生き続けていた。

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アドマイヤフジ 力走に祐一合格点 2005年10月21日(金) 10時50分 デイリースポーツ  「菊花賞・G1」(23日・京都)GOサインを受けると、アドマイヤフジは力強くチップを蹴り上げ、坂路をグングンと上がっていった。最後まで集中力は途切れない。内外に大きく離れていたが、先行するアドマイヤレグノ(3歳500万下)を並ぶ間もなくかわした。4F51秒4―12秒5。余裕の6馬身先着だった。  橋田師の表情も自然とほころんだ。「よかったんじゃないかな。ムキにならないで、追われてからしっかりとしていた。反応もよかった」と合格点を与える。もちろん、ひと叩きした効果も明らか。「体も少し減っているんじゃないかな」と手応えをつかんでいた。  久々に感触を確かめた福永も「時計、動きとも申し分なかった。大幅な成長はみられないが、順調に夏を過ごしてくれたみたい」と満足げにうなずいた。京都では2戦してともに3着。「下り坂が苦手だった」と敗因を口にしながら「ひと夏を越して克服できれば」と課題クリアを期待した。  目の前には大きな壁が立ちはだかる。「あの馬を気にせず、うまく競馬ができれば。三千メートルの適性はあると思う」。自分の走りをするだけ。そうすれば、結果はおのずとついてくる。 [ 10月21日 10時50分 更新 ]

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